「この感覚は、何に似ている?」

僕は今日、自分の体に起こっていることがよく分からなかった。

だから「この体に起こる感覚はなんだろう」「何に似ているだろう」と探していた。たぶん自分が頭で考えるようなものとは、全く別のものが裏側に流れている。真実はなんなのだろうかと探してた。

そして分かった。言ってみれば、それは暴力だった。たとえば街で大きな声をあげる喧嘩を見かけたり、テレビで暴力的なニュースを見たときに起こる、あの感じに似ている。

僕が体験したのは一見、暴力とはまるで関係ないようなシチュエーションなのにも関わらず、体は暴力に対しての抵抗を感じ取っていた。寂しさや、悔しさや、苛立ちではなく、確かに暴力に対する反応とよく似ていた。いわば怯えだ。

昨夜といえば、脳をハッキングしようとする作用と、瞑想的な防衛機能が、お互いにせめぎ合っていた。僕は「指先の感覚だけが自分だ」と意識を集中させながら、あふれては流れる思考や、イメージを、ひたすらに受け流そうとしていた。

そしてやがて決着がついた。と言いたいところだが、この戦いに決着はない。勝ったとも負けたとも言えないゲーム。だけど終わってしまえば、なかなか良いゲームだったんじゃないかと思う。

またひとつ収獲もあった。「この感覚は何に似ている?」と体に問いかけることで、認知のベールを剥がし、本質を見ることが出来るということだ。思い出せない人の名前を思い出す時みたいに、しばらく脳が探し続けることで、答えがふと分かる瞬間がやってくる。

「何に似ているか」が分かれば真実が分かる。そして思い違いの雲も晴れる。

たとえばオレンジを林檎だと思ったままだと、永遠に林檎を見つけることは出来ない。ハヤシライスとビーフストロガノフを間違ったままだと、永遠にビーフストロガノフは食べられない。右と左、お箸を持つ手とお茶碗を持つ手を間違っていたら、地図だって役に立たない。

正しく、適切に認識すること。「何に似ている?」という問いかけが、助けになるだろう。きっとことあるごとに、これからも。