今が幸福でなければ、明日幸福になる意味なんてない。

まだ僕には、言葉では説明しづらいこと。とても。

いつでも幸福が存在するのは今しかない。言葉で言うのは本当に簡単なこと。マインドフルネスの世界では「今に存在する」という言葉が、使い古される。だけどいくら言葉だけが使い回されようと、それだけで腕が上がるわけじゃない。

たとえば野球の技術の本がいくら出版されても、それで野球の腕が上がるわけじゃないように。たとえばダイエット番組がいくら放映されても、それだけで痩せられるわけではないように。

今現在に存在するのは尊い技術だ。純度の高い今現在を手に入れるには、技術が必要だ。だけどいつだって、必要な腕が足りないということはない。ボールを投げることなら誰だって出来る。重要なのは僕らがボールさえ投げていないということだ。

僕が未来の幸福のことを考えている時、現在の幸福はすっぽりと抜け落ちる。けれど脳はそのことに気付いていないし、脳の持ち主も気付いていない。仮想の上の仮想の上の仮想の上に幸福を描く。丘の上の丘の上の丘の上に家を建てるみたいに。

僕は瞑想で幸福度を上げた。だから瞑想を幸福の手段にしている。だけど気が付けばもう1ヶ月も、未来だけに幸福を求めていたりする。今日に戻ってくる瞬間がない。今日よりも明日、明日よりも明後日に幸福を求める。明日も明後日も存在しないかもしれないのに。明日や明後日にはもしかしたら、この命だってないかもしれないのに。今現在のようで今現在じゃない、まがいものの未来や過去を見せられている。心はまだ雑然としたままだ。

未来と現在は圧倒的に違う。たとえそれが3秒先の未来であっても、1秒先の未来であっても、未来は未来だ。0秒のギャップもない今現在じゃない。

たとえどれだけ瞑想がうまくなっても、今に存在していない瞬間は、いつだって不幸だ。たった今この瞬間にも、心は微細な揺れを繰り返して、未来と現在を行ったり来たりしている。往復運動だ。そして心の9割は未来に存在する。純度の高い100%の、今現在というものを、僕はまだ正確に捉えることが出来ない。

明日は本当は存在しない。洗脳度の高い幻想だ。今が幸福でなければ、明日幸福になる意味なんてない。