瞑想は線を点にする

人は線を描くのが好きだ。ストーリーを描くのが好きだ。過去と未来をつなぎあわせて、点を線としてつなげようとする。

だけど瞑想の世界は、逆に線を点にする。元ある場所に戻す。

点はだた1点に存在する。長さも厚みもないからこそ、強い。

逆に線は弱い。長ければ長いほど折れやすくなる。

たとえば、僕は人生について考えることをやめた

なぜなら人生とは、点と点をつないだときに描かれる線でしかない。

人生というものは実は、存在しない。僕らが頭に線を描きさえしなければ。

点になるには勇気がいる

僕らはこの「人生」という線の中で、ずっと線を描く練習をしてきた。最初は点だったものが、次第に線となり、点に戻ることができなくなった。

だから点になるのは恐い。いちど点に戻ってしまえば、今まで描いてきたような線が描けなくなるのではないかと恐れる。

たとえ一度点になることが出来ても、この命の線の最後に、線を思い出してしまうのではないかと恐れる。その考えさえも、僕らが描く線の一形態だ。

だがたとえ僕らが、点とだけして存在しようとも、線というものは、勝手に描かれる。僕らが点であろうと、なかろうと、誰から見ればそれは線であり、誰かかから見ればそれは点だ。

描かれているとも言えるし、何も描かれていないとも言える。なので描かれるに任せておけば良い。

点であることを恐れるな

瞑想は点だ。