社会的評価を気にせず生きられる?

社会的評価は洗脳度が高い。人間の意識のものすごく薄い、分かりづらい箇所で起きていると思う。なので、まるで完全な現実のように感じられる。たとえそれが全部、自分の頭の中で生み出されたものだとしても。

僕は最近「社会的評価に反応する自分」を、瞑想的に処理しようとチャレンジしていた。だけどなかんか難しい。社会的評価への反応を、身体的感覚に還元して、現実から外部化たかったのだけれど、まだうまくいっていない。

なぜなら身体感覚の中で、どれが社会的評価に対応する感覚なのか、よく分からない。あまりのも素早く、薄く、見えづらい場所で、複雑なことが起こっているような気がした。そのスピードをまだ、僕の瞑想はつかまえられない。自分が現実を生み出しているのではなく、現実の中に自分がいる感覚。脳がハッキングされている。

「現実的感覚」ならたとえどんなものでも、すべてを身体感覚に還元できると思っていたけれど、今の僕にはまだ無理なもののひとつ。それが社会的評価や、人間関係にまつわる多くのことだ。

なので今は外部化することを諦めて、ただ単に、イメージが通り過ぎること、思考が生み出されるのを観察することにした。身体的感覚ではないけれど、イメージや思考も、極薄のエネルギーを持っているという点では、外部化できるもののひとつのはずだ。

僕はゲームにはまり込んでいる自分を見つけて、そこから抜け出そうとせずに、ただ放置してみることにした。