自分の世界のルールで生きる

瞑想を続けていても、人は社会的要素には弱い。

たとえば人から認められる、認められないということや、友達や恋人がいるいないの違いや、仕事や年収の違いや、境遇なんかに人は簡単に影響されてしまう。

瞑想でようやく、揺らがない心を築いたかと思いきや、社会的要素が影響して、とたんに全てが崩れるように感じることもある。

じゃあ瞑想は役に立たないのだろうか

結局は社会的要素の方が影響力が大きくて、大きなゲームとして動いているのだろうか。瞑想はそのレールの上で、単に心身のバランスを整えてくれるだけなのだろうか。

世界のルールを変える方法

僕らが社会的要素に揺らぐのは、誰かが作った世界のルールで生きているからだ。

僕らがレールに乗っているのであって、レールが僕らを乗せているわけじゃない。決めているのは僕ら自身だ。

だから乗るレールを変えることさえできれば、自分の世界のルールで生きることが出来る。

たまに見つかる自分の世界の

時折僕は、誰かが作ったルールとはまったく違う、自分だけのレールに乗った、ゆらがない自分を見つけることがある。

その時の感覚を覚えていたい。深い暗示から解かれて、魂が自由になる瞬間を。

瞑想だけではダメだ

瞑想はルールを変える手助けになる。だが瞑想だけではルールは変わらない。

たとえばどれだけレベルが高い勇者でも、魔王を倒さなければ平和は訪れないよう「。

瞑想とはまた別軸で、自分で自分の洗脳を解く必要があるように感じている。

ゆらがない自分を見つけよう。自分の世界のルールを見つけよう。

「やがて死ぬ命」「今がある幸せ」

この二つの言葉が、今日はしっくりと来る。この究極の二つを並べることで、心が落ち着く。

やはり、言葉は二種類必要だ。息を吐く時と吸う時の二つが。

そして瞑想の言葉には、陰と陽があった方が良い。それぞれ死ぬことと生きるとこが表されていた方が良い。

あるものがないときに

たとえば不安を感じる時、不安が「ある」のではなく、安らぎが「ない」のだと気付く。

  • 安心がない状態が不安
  • 平和がない状態が争い
  • 愛がない状態が悲しみ
  • 信頼がない状態が不信
  • 健康がない状態が病気

僕らが揺らいでいるのは、本来あるものがない時だ。

 

マインドフルネスとオレンジ

オレンジはちょっとすっぱい。だけど美味い。

マインドフルネスの瞑想もそんな感じだ。オレンジだということさえ分かっていれば、すっぱさを含めて味を楽しめる。

「不安はこんな感じ」という感覚。「焦りはこんな感じ」という感覚。それぞれちょっとすっぱいけれど、こういった感覚の味を好きになることも出来る。

瞑想はチームプレイ

自分ひとりの中に色々なメンバーがいて、それぞれの仕事をしている。自分がフィールドで、チームがそこでゲームをする。

呼吸や、体の働きや、自律神経や、意識や、思考や、イメージや、視覚や、聴覚や、嗅覚。それぞれが別の要素や、機能を持っている。

もし、その中で困っているメンバーがいたら、他のメンバーで手を取って助けてやる。

たとえば体の中で脚が辛さを感じていたら、呼吸と意識とで、優しく扱ってみること。トリートメントを試みる。

まずは状況把握。彼の感覚を理解する。そしてチームが彼に対して、なにか悪い働きをしていないかを確かめる。しているようなら、それをやめる。彼の努力に対してサポートをおこなう。

自分ひとつのなかで、チームメンバーが互いにコミニュケーションし合っている。脳の機能や、体の機能同士がコミニュケートし合って、自分という統合的なゲームを作り出している。

だから、自分ひとつの中のチームが協力して働けば、チーム運営はうまく行く。自分はじつは、自分ひとりじゃない。メンバーが集まったチームだ。

数千万回のマオンドフルネス

たとえ数千万回でも、呼吸に戻ってこよう。

そして数千万回、呼吸を手放そう。

ずっと手元にとどめることは出来ない。

いちと手放して、帰りを待つ。

瞑想はキャッチボール

苦しさはボール、呼吸はミットだ。

ちゃんとボールの動きを見て受け止めれば、なんのことはない。

良いキャッチャーはボールの扱いがうまい。

人間と瞑想の違い

  • 人間はオンにし続ける、瞑想はオフにし続ける。
  • 人間は得続ける、瞑想は捨て続ける。
  • 人間は大きくなろうとする、瞑想は小さくなろうとする
  • 人間は厚くなろうとする、瞑想は薄くなろうとする。
  • 人間は意味を求める、瞑想は意味を委ねる。
  • 人間は頭の中に存在する、瞑想は体の中に存在する。
  • 人間は存在しようとする、瞑想は存在しようとしない。

人間と瞑想はまったく逆の方向を向いている。

呼吸は二種類ある

呼吸は大きく分けて、二種類ある。

吸うときと、吐くときだ。

僕らはこれを「呼吸」とひとくくりに認識しているが、お互いにけっこう性格が違う。

違うようでいて、お互いに連なり合っており、ひとつのものでもある。兄弟のようであって、友だちのようであり、月と太陽のようなもの。

そして呼吸は往復運動を繰り返している。

この二つの関係性に気づけると、呼吸との付き合い方がもっとうまくなれる気がする。

 

呼吸は芸術品

たとえば芸術品は、角度や位置が1mm違うだけで、観客にまったく違ったメッセージを伝える。

僕らの呼吸も、芸術品と同じよう、ニュアンスブルだ。だから同じように、芸術品みたいに扱ってみる。

一番大事なのは、本質をつかまえている、その状態。けれども逆に、ディティールにこだわってこだわりすぎるということはない。

コンマ1秒1秒の世界で、美しさは作り上げられる。無駄なものはひとつもなく、無駄な動きもひとつもない。

呼吸は芸術品。