タッチ・ブレス・リターン

今に戻ってきたいのに、戻ってこられないことがある。

そんな時は、いちど間に呼吸を挟む必要があるのだと気付いた。

  • 今にいないことに気付く
  • 呼吸や身体感覚に気付く
  • 今に戻ってくる

タッチ・ブレス・リターン

川を渡るのに橋が必要なように、狩をするのに槍が必要なように、プリンを食べるのにスプーンが必要なように、プログラミングをするのにキーボードが必要なように、今に戻ってくるには呼吸が必要みたいだ。

現在過去未来の能力値

僕らは過去を振り返り、未来を描く訓練をひたすらし続けてきた。だけど今に存在する訓練は全くと言って良いほど受けていない。

  • 過去を振り返る能力 100
  • 現在に存在する能力 1
  • 未来を思い描く能力 100

こんな感じ。さすがにアンバランスじゃないだろうか。これじゃ魔王に勝てない。

マインドフルネスはこの、凹んだ能力を伸ばすトレーニングだ。

 

猫が虎に変わる時

自分の中の生き物が怒る時。猫が虎になる時。

無理矢理に落ち着かせることは出来ない。怒るままにさせておくのがいい。

怒りが自分だという錯覚があると、コントロールしたくなる。

だけど猫は尻尾を向けるだろう。「余計はお世話だ」って。

猫が虎に変わる時。自由なままにさせておけ。

何も加えず、何も引かずに。

呼吸は生き物

呼吸するのは、僕らじゃない。生き物だ。

僕らは生き物に、ただ優しくするだけで良い。

眠りを妨げず、息を妨げない。ただ見つめるだけ。

いつの間にか終わっているような人生が理想だ

マインドフルネスを始めてから、そう感じるようになった。いつの間にか10年20年と過ぎているような人生は、なんて素晴らしいだろう。振り返る暇もなく、悔やむ暇もなく。

昔はまったく逆の感じ方をしていた。いつの間にか10年20年と過ぎてしまうような人生は、恐くて仕方なかった。

だけどいくら恐がっても、恐がらなくても、どちらにせよ時間は過ぎる。いくら時間に敏感でも、そうでなくても、結果は変わりはしない。誰も時間は止められない。

ただ時間を恐がっている今や、恐がっていない今があるだけだ。それならば、時間を恐がらない今がひたすらに、連続する方が良い。

今では、今の瞬間だけに生きることが、もう恐くない。今には今しか存在せず、その瞬間が連続している。

そしてたとえ、今だけに生きたせいで、あっという間に人生が流れたとしても、時間が流れた先にだって、今という瞬間があるだけだ。

目を閉じれば世界が消える

世界は消えて、自分だけになる。

最初は存在せず、今存在しているもの。今存在していて、元からは無かったもの。

世界を作り出しているものが、自分自身であることに気付く。未来を作り出しているのも、過去を作り出しているのも、現実を作り出しているのも。

「これは現実逃避だろうか?」と考える。「やはり現実は存在するんじゃないだろうか」と。そして次の瞬間「現実逃避だろうか?」と考えた、その自分自身に気付く。働きが現実を生み出している。「現実が存在するんじゃないか」と考える自分が現実を生み出している。

こうやって世界の働きを見抜くたび、現実と自己の区別は曖昧になってゆく。

世界が消えれば、自分も消える。世界と自分の区別がなくなる。そして世界は自分になる。

 

マインドフルネスのタッチ・アンド・リターンって何?

  • 思考やイメージにとらわれていることに気付く
  • 呼吸などの感覚に注意を戻す

このサイクルを「タッチアンドリターン」という。(書籍「マインドフルネス基本講義」でこういう呼び方がされている)

これを繰り返すことがマインドフルネスの練習になる。

タッチアンドリターンを繰り返す

思考やイメージにとらわれていることに気付いても、悔やむ必要はない。ひたすらにタッチアンドリターンを繰り返そう。

このサイクルを繰り返すのがトレーニングだ。たとえば、悔やむ瞬間でさえ「タッチ」に変えて、そこから「リターン」すれば、練習になる。

 

未来を計画せずに生きる

人生は勝手に描かれていく。

僕らが未来を計画しようとも、せずとも、自動的に。

「未来を計画するからこそ、未来がある」というのは、実は嘘だ。

たとえ今に集中して、今の中だけに生きても、未来は勝手に描かれて行く。

未来計画は当たらない

なぜ未来計画をそんなに信頼するのか?

僕らが描く未来は、僕らがの計画とはまるで違ったりする。

未来計画がたまたま実現することもある。だけど偶然じゃないだろうか。

計画が役立つ気がするのは、本当にただの錯覚かもしれない。計画がうまくいった、たった1回のギャンブルの勝ちを、強く覚えているだけかもしれない。

未来と錯覚

僕らの未来は、僕らが未来について考えるからこそ存在する、わけじゃない。それは錯覚だ。

むしろ仮に、全力で今に存在し、未来を計画しないように努めたとしても、頭は勝手に未来のことを描き続けるし、計画し続ける。未来計画を完全にやめることは無理だ。思考を止められないのと同じで。

どうせ僕らは、未来を考えることはやめられない。それならば、僕らは今に集中したって良い。未来計画は、僕らの頭に任せよう。それでようやくバランスが取れる。

 

頭の中の門番

頭の中に門番がいる。

そいつに見つからないようにゲームをする。

脳の中の「追求モード」をうまくやりすごす。

「あ、あそこに門番が歩いてる」

と分かることがある。僕は最近。

門番を見つけたら、さっと壁に隠れる。そんなイメージで過ごしている。

まあ、こいつがなかなかすばしっこくて、気づかないうちに、つかまっていたりするんだけど。

つかまるたびに逃げる。

またつかまる。なのでまた逃げる。そしてやり過ごす。その繰り返し。

なんどの試合を繰り返すだろう。だけどだんだんと相手のやり口も分かってくる。門番は案外単純だ。そもそもうまく壁に隠れて見つからなければ、捕まることもない。

僕らのゲームの腕は上達するが、門番といえば、自動スクリプトで動いているだけだ。コンピューター対プレイヤー。僕らの勝ちは見えている。

そして僕らは優雅に日常を過ごす。

瞑想とレジスタンス

僕は抵抗する。

思考のノイズや、ざわついたイメージに、呼吸で。

たとえば何かがもう終わりだと思った瞬間、穏やかな呼吸はまだ残っている。どんな小さな場所にでも、最後の息を見つけ出そうとする。

レジスタンスに敗北は存在しない。抵抗することこそが勝利だから。