思考のスピードとマインドフルネスのスピード

思考のスピードは速い。

マインドフルネスのスピードはそれよりちょっと遅い。

だからいつでも、ちょっとだけ待ってあげる必要がある。

ちょっとだけ待ってあげるを繰り返すのがマインドフルネスの核心。

瞑想を始めてからが本当の年齢

瞑想1年が経って1歳。

瞑想2年目が経って2歳。

心が立ち方を覚えてからの時間。

瞑想で何もしないというのは、スイッチをオフにすること

たとえばスイッチをオフにするというのは、オフにするという行為だ。

だがいったんオフにすれば、それからは何もしない状態になる。

瞑想も同じで、何もしないというのはスイッチをオフにする行為だが、だからこそ何もしない状態になってゆく。

そして僕らのスイッチは自動的にどんどんオフになっていくので、どんどんオフにする必要がある。そこに平穏はある。

日常の不満は、真実の不安をフィルタしているだけ

仕事への不満、人への不満、その他諸々。

本当は生命に対する不安をフィルタしているだけなんじゃないだろうか。つまり根源的には死に対する不安を。

そう思えば不満や不安の種類はひとつだけだ。シンプルな話になる。

そして受け入れてさえしまえば、きっと死は怖いものではない。

マインドフルネスとマンネリと刺激

瞑想の訓練をはじめてから半年ぐらい、少しマンネリを感じていた。

はじめてマインドフルネスと出会ったの時の、あの刺激的で、胸がいっぱいになる感覚がない。どうにも戻ってこない。

僕は「あの感覚」がマインドフルネスなのだと思っていた。人生がとてもキラキラしていて、心から充実していて、ひとつの長い夢から覚めて、新しい夢が開けていくときのような感覚。

だけどそれからしばらくトレーニングを続けて、それはただの「最初の刺激」だったのだと理解するに至った。

強い刺激であろうと、小さな刺激であろうと、中ぐらいの刺激であろうと、どんな味わいだって、僕は身体感覚を楽しむことが出来る。調子が良ければ、人生の中の一瞬としてだって、意味合いを感じられる。

99%のレモン

悲しみを味わうことさえ出来れば、悲しみは恐くない。

たとえ99%が酸っぱいレモンでも、1%の甘みさえあれば。

食べ物は味わい方次第だ。

悲しみがあると気づいた時、その悲しみを味わおう。

瞑想の終わりは瞑想の始まり

座っている時間はほんのチュートリアル。

日常の始まりが瞑想の始まり。

不安の始まりは瞑想の始まり。

焦りの始まりは瞑想の始まり。

瞑想は覚醒状態と相性が良いかもしれない

僕の場合、瞑想をすると眠くなりがちだ。

だが逆に、頭が冴えて仕方がない時に瞑想をすると、ふだんより長時間集中していられる気がする。

覚醒状態も収まるし、瞑想も続けやすい。これは一石二鳥かもしれない。

眠れない夜には瞑想を。

いつでも頑張ってきたのは、君だった。僕じゃない。

ぼくの中のもう一人だ。

たとえば恐れたり、喜んだりしているのも君だ。

僕はただ、君の頑張りを遠くから見つめているだけ。

だけど、君をとても優しく扱うことはできる。なでてやることだって出来る。

僕は僕の中の君を愛犬みたいに扱う。愛犬と僕に上下関係はない。ただ役割が違うだけ。

生まれては消えてゆく感覚

心地良い感覚も、そうでない感覚も、全てが生まれては消えてゆく。

意識できるもの、そうでないもの、複雑なものや、そうでないものたちが、体を通り過ぎてゆく。生きるということは、死ぬことを迎える準備だ。

自分というものに命が宿り、まるで自分や、世界があるかのように装っている幻想。よく目を凝らせば、自分の概念が解けてゆく感覚。