瞑想は動物園だ。僕は今日、チーターを見つけた。
体の中にチーターがいて、いつでも走り出そうとしている。
気がつくといつのまにか全力で疾走しているし、そうでない時でも、走り出そうと待ち構えている。ピクッピクッと筋肉が動いているのが分かる。
人間の僕は、それに気がつくたびに、走る必要がないときは走らなくて良いんだと教えてやる。チーターに優しくして、仲良くするために。
瞑想と過ごす365日
瞑想は動物園だ。僕は今日、チーターを見つけた。
体の中にチーターがいて、いつでも走り出そうとしている。
気がつくといつのまにか全力で疾走しているし、そうでない時でも、走り出そうと待ち構えている。ピクッピクッと筋肉が動いているのが分かる。
人間の僕は、それに気がつくたびに、走る必要がないときは走らなくて良いんだと教えてやる。チーターに優しくして、仲良くするために。
だいたい良からぬ思考が浮かんでいる時というのは、呼吸が乱れている。
それが明らかに分かる場合も、注意を凝らさなければ分からないぐらいの、微妙な変化の時もある。
だがいつでも、呼吸が変化していないということは決してない。
逆に呼吸が整っている時は、たとえどんな思考が浮かんできても、だいたい平静でいられるものだ。
思考は現実化しない。
変えるべきなのは思考じゃない。
呼吸だ。
呼吸のマイナスに気づいた時、それをプラスにしたいと思うかも知れない。
だけど呼吸は、僕らとは別の生き物だ。
僕らが呼吸に対してマイナスの蓋をつけることは出来るが、無理やりにプラスにすることは出来ない。
たとえば樹を切るのは簡単だけど、無理やりに成長させることは出来ないみたいに。呼吸の世界は「逆もまた然り」で出来ていない。
イメージとしては、マイナスの蓋を取り除いて、ゼロを取り戻すことだ。つまり、何も手を加えない。