大事なのは呼吸じゃない

特定のものに注意を向けること

だから呼吸を見つけても、コントロールしなくて良い

ただ見つけているだけで良い

死を近くに感じながら生きる

最初には何もなかったものが

何もなかったところに戻る

ただそれだけの話

生きることはほんの束の間の間、波が海上に現れるみたいなものだという

その感覚が実感で分かる気がする、今は

何度でも生命は、生にしがみつこうとする

そのたびに元あるところに戻す

最初から何もなかった場所へと

瞑想とユニコーン

体の中にユニコーンがいる

こいつが回復や治癒をつかさどっている

体の中にユニコーンを見つけることで

生命が癒される

そんなイメージ

思考のスピードとマインドフルネスのスピード

思考のスピードは速い。

マインドフルネスのスピードはそれよりちょっと遅い。

だからいつでも、ちょっとだけ待ってあげる必要がある。

ちょっとだけ待ってあげるを繰り返すのがマインドフルネスの核心。

瞑想を始めてからが本当の年齢

瞑想1年が経って1歳。

瞑想2年目が経って2歳。

心が立ち方を覚えてからの時間。

瞑想で何もしないというのは、スイッチをオフにすること

たとえばスイッチをオフにするというのは、オフにするという行為だ。

だがいったんオフにすれば、それからは何もしない状態になる。

瞑想も同じで、何もしないというのはスイッチをオフにする行為だが、だからこそ何もしない状態になってゆく。

そして僕らのスイッチは自動的にどんどんオフになっていくので、どんどんオフにする必要がある。そこに平穏はある。

日常の不満は、真実の不安をフィルタしているだけ

仕事への不満、人への不満、その他諸々。

本当は生命に対する不安をフィルタしているだけなんじゃないだろうか。つまり根源的には死に対する不安を。

そう思えば不満や不安の種類はひとつだけだ。シンプルな話になる。

そして受け入れてさえしまえば、きっと死は怖いものではない。

マインドフルネスとマンネリと刺激

瞑想の訓練をはじめてから半年ぐらい、少しマンネリを感じていた。

はじめてマインドフルネスと出会ったの時の、あの刺激的で、胸がいっぱいになる感覚がない。どうにも戻ってこない。

僕は「あの感覚」がマインドフルネスなのだと思っていた。人生がとてもキラキラしていて、心から充実していて、ひとつの長い夢から覚めて、新しい夢が開けていくときのような感覚。

だけどそれからしばらくトレーニングを続けて、それはただの「最初の刺激」だったのだと理解するに至った。

強い刺激であろうと、小さな刺激であろうと、中ぐらいの刺激であろうと、どんな味わいだって、僕は身体感覚を楽しむことが出来る。調子が良ければ、人生の中の一瞬としてだって、意味合いを感じられる。

99%のレモン

悲しみを味わうことさえ出来れば、悲しみは恐くない。

たとえ99%が酸っぱいレモンでも、1%の甘みさえあれば。

食べ物は味わい方次第だ。

悲しみがあると気づいた時、その悲しみを味わおう。